友達はいらない(迫真) ”君に友達はいらない”
■簡単なまとめ
マッキンゼーを得てエンジェル投資家として活躍している著者がこれからの資本主義を生きていく「チーム」について述べた本。
SNSでウェーイってやってるような奴や、シェアハウスでズットモダヨ.....なんてなれ合っている友人なんていらない!
ある目的意識(大きなビジョン)を共有し、それを達成するために個人個人が自分の強みを発揮することにより成果を生み出していく。まるで攻殻機動隊の公安9課のようだ。
これからの時代にはそのようなチームが求められている。
またそのようなチームを作るための方法論や、チームの中で活躍するための心構えなどについて著者の豊富な経験と、知識に基づいて述べられている。
■感想 いや確かに”もう”友達はいらないのかもしれない
勘違いしてはいけないのは著者はなんというか、いわゆる上っ面だけを共有するような友達がいらないといっているのであって、困ったときに助けあったり、嫌われること覚悟で耳に痛い助言をしてくれるようなそういうちゃんとした友人については否定してない。
むしろ著者の言うチームメイトに求められているのは、そういうある目的のために困難をともに乗り越えられるような人であるのではないかと感じた。
つまり、人生を豊かにするという大きな目的の元ともに過ごすようなのは生涯の友人として大事にするべきなのだろう。友人の定義については本書では述べられていないけど。
この本を読んで率直に思ったのは確かにもうこれ以上新しい友人はいらないだろうな、ということである。
自分でいうのもなんだが、私は友人はあまり多くない。友人だと考える人、仮に今でにも連絡を取り合う人とすると多目に見積もってせいぜい20人である。
おそらく私の人生でこれから彼ら、彼女らのような友人はほとんどできないだろう。実際他大学院に進学してからできた友人は一人しかも自分の学科とは関係ないところであった留学生。
どうしてかというと今までの友人常に何らかの目的意識があって何かをするために集まった人ではなく、自分の生活圏内で頻繁に会う人の中で自然淘汰的に残った、気があう人たちであるからだ。
ところがこれからの時代は筆者のいうように特定の目的のためにプロジェクトのために集まり、目的達成のために各々が奮起し、目的を達成したら解散し、またそれぞれ別のプロジェクトに参加していく。すくなくとも私が働くことになる業種は間違いなくそういう働き方が求められる。
集団の起こりからして違うし、プロジェクトにもよるのだろうが、自然淘汰が起きるほどの余裕はないだろう。
実際、働きだすと大学までの濃い関係をもつ友人はできないといっている友人も少なくない。
そこでそもそもこれ以上友人は必要なのと?考えたときにいやすでに必要な分はいると素直に思えた。ありがたい話である。
だからこれからの人間関係は筆者のいうようなチームの一員として己の強みを発揮し一定の成果を出し続ける。そのようなコミュニケーションに重きを置いていく方が仕事が充実し結果人生にもいい影響を与えるのかもしれない。